志高ロープウェイ・ユートピアリフト(前編)

2025年4月訪問

基本情報

大分県別府市にあるリフト、ロープウェイ跡で、ラクテンチ(リフト)~乙原~立石山~立石山(ロープウェイ)~船原山~船原山(ロープウェイ)~志高ユートピア駅からなる。1962年3月にラクテンチ~立石山間にリフト開通、1968年7月に志高ユートピアが開園、1982年11月に志高ユートピア~船原山間にリフトが開通、1984年8月に立石山~船原山間にロープウェイ開通。1998年10月をもって全て廃止

ラクテンチ駅~乙原駅間
支柱
山を登っていく
野生の3点ユニットバス
大きな建物が見えてきた
トタンでできているが一部は骨組みだけになっている
すさまじい荒廃っぷり
用途不明の器具
赤鳩印のトタン板
プラスチックだけ全く朽ちずに残っている
反対側に回る
こちらも大きく崩れている
崩れ落ちた天井に潰されたリフト
大量のリフト。倉庫だったようです
間仕切りもあったようですが崩壊しすぎて原型が分からない
ワイヤー
乙原駅が見えてきた
深い藪に覆われているが近づけないこともない
プラットホーム
立石山方面行きのリフト
管理室
のりば
リフトからリフトへの乗り換えは少々手間ですね
ラクテンチ方面のリフトは植物と一体化していました
先も見えません
黒電話
プラットホーム階下
残留物の多い廃墟はわくわくする
整備に使ったのであろうオイルや薬品
オイル刺し用のケトル①
オイル刺し用のケトル②
リフトの機構が見れるのは廃墟だけ
手前がラクテンチ方面、奥が立石山方面のリフトの機構
なんらかのメーター
リフト駅山頂にある売店への電気はここから送っていたらしい
管理人室へ
黒板
主を失ったジャケット
リフトや書類の他にテレビやストーブもありました。係員の待合や宿直にでも用いられていたのでしょうか
昭和64年度、もとい平成元年度の業務日誌
何から手を付けていこうか…
業務日誌や検査記録表が至る所に残されている
中外製薬時代のグロンサン。2004年からライオンに、2024年にはレックに権利が譲渡されています
ケーブルラクテンチ常務部鉄道課長の名刺。沢山あったので1枚土産に持ち帰らせて頂きました。※モザイクを入れています
最期まで無事故でした
トイレ
プラットホームに戻ってきた
この藪の先にリフトが続いている

長編になるので初めて前後編という形をとっています
ネタバレになりますが、ロープウェイ立石山駅で引き返しているため、
それ以降の駅には訪問していません

乙原駅の階下にある管理人室はかなり面白いのですが、ネット上でここに触れている人は今のところほとんどいないんじゃないかなと思います。

乙原駅まではアプローチもさして困難ではなかったのですが、ここからが地獄でした…

後半へつづく

コメントを残す