叡山ホテル

2024年4月訪問

基本情報

1937年に開業、1943年に大戦の影響で閉館。その翌年には地階以外解体され、戦後に比叡山頂遊園地の内のお化け屋敷「叡山パラダイス」として跡地が利用されていたが、2000年に比叡山山頂遊園地が閉園し現在に至る。なお、比叡山人工スキー場もこの遊園地の一部だった。
詳細は長谷川尭『村野藤吾の建築 昭和・戦前』(鹿島出版会,2011)に詳しいので大雑把に要約すると、1943年に閉館後、翌年には解体され城陽市寺田にあった島津製作所寺田工場の寄宿舎に建材をそのまま利用し実質的移築。1950年代にはそれも解体された。なお建材については他説もあるが、この説が最も有力視されているらしい。

特徴的な曲線。ホテルの入口だった。
長谷川尭『村野藤吾の建築 昭和・戦前』(鹿島出版会,2011)より
当時のアプローチ路は現在藪に覆われているが、左側から入れる
ホテルエントランス
京都交通株式会社の運行表
お化け屋敷に置かれていた人形の残骸
人霊?
玄関ホールから1階への階段
長谷川尭『村野藤吾の建築 昭和・戦前』(鹿島出版会,2011)より
上画像と同じ場所。当時は踊り場に椅子が置かれていたようである。
エントランスを内側から
用途が分からない近隣施設
飛行機を模した遊具か
パチンコ
長谷川尭『村野藤吾の建築 昭和・戦前』(鹿島出版会,2011)より
叡山ホテル平面図
国土地理院航空写真(城陽市寺田,1946年) 島津製作所の寄宿舎。
特徴的な曲線形の建物で、叡山ホテルを移築したという説も信憑性がある。

戦前に6年だけ営業した豪華ホテル。
長谷川尭『村野藤吾の建築 昭和・戦前』(鹿島出版会,2011)では「ヴァナキュラー様式」に近い建築とされ高く評価されていましたが、僅か数年で現在とほぼ同じ有様となってしまった
書籍に掲載された当時の写真と比較してみると非常に面白かったです

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